◆ 学院長プロフィール ◆

大内誠子
日本創美和装協会会長
大内きものカルチャーアカデミー学院長
創美新舞踊大内流家元
日本舞踊西川流師範 西川紋矢(日本舞踊協会会員)

父行岡剛(第一高等学校、大阪帝国大学医学部卒、医学博士)母大内五三(愛媛県立今治高等女学校卒、前会長、夫行岡剛戦死後実家の大内籍に復籍)の二女として、大阪府箕面牧落にて出生。1964年大阪女子学園短期大学卒業。同年「松下電気」入社。後、1980年日本創美和装協会設立(某協会を脱退、母大内五三が同協会を設立)時に、大内きもの学院(後大内きものカルチャーアカデミー)の学院長に就任。2008年 前会長大内五三没後、同協会会長に後継就任。

認定校瀬尾静子きもの学院(徳島県)、慈装きもの学院(神奈川県)、名張きもの学院(三重県)、日装きもの学院(愛知県)、橋口きもの学院(福岡県)、又直営校大内きものカルチャーアカデミー、又そのチェーン校等を束ね、伝統のきものの継承、教育に活躍中。また並行して、日本舞踊西川流師範 西川紋矢として活動、1989年「創美新舞踊大内流」を創立、家元となり、門弟の指導、育成に当る。その際、中之島ロイヤルホテル・ロイヤルホールにて家元襲名パーティーを行い、各界の著名人や議員様初め評論家の方々そして生徒さん初め関係各位様のご臨席を賜り、流舞 新内 大内三番叟を披露いたしました。大きな行事として、協会主催「創美きもの着付祭典全国大会」を毎年開催。今年第32回目をクレオ大阪西に於いて10月29日(土)にとり行う。また舞踊においては、隔年開催の「花かさね会」がある。今年第15回目を国立文楽劇場にとり行う。

他に阿倍野(着付、大内流)近鉄文化サロン上六(舞踊西川流、大内流)よみうり堺文化センター(西川流、大内流)JEUGIAカルチャー堺タカシマヤ(大内流)大阪産経学園梅田校(西川流)各講師。

付け加えれば、その他の資格に、美容師、栄養士、華道嵯峨御流教授、伊賀白鳳流手組紐師範、日本作法会教授、新内武蔵派名取。

著書に「きものの歴史と歳時記」「きもの着付教本」その他副読本数冊。

賞として「舞踊顔見世賞」、「伝統芸能懇話会・演技賞」2度他受賞。尚初代会長没後、講師の賛同を得て、三女朝子が副学院長に就任いたす事に成りました。私、同様、どうぞよろしくお願い致します。

以上。

次に相羽秋夫先生編著「夢舞台、新舞踊の華たち」の本文中、家元大内誠子の紹介文のところを、そのまま引用、掲載させていただきました。よろしければ、一読下さいませ。

にしかわ もんや 創美新舞踊大内流家元 大内誠子(西川紋矢) ―― 優しさと易しさを原点に

「たおやか」な美女

「たおやか」という言葉は、この家元のためにある。辞書には「しとやかで優美なようす」とある。今年ン歳。美女の年齢は永遠に謎である。
自ら愛車を運転して、大阪市内の各所や、西大寺、堺など広範囲の稽古場を廻る。たおやかな体のどこから、このバイタリティが沸いてくるのであろう。
家元は、大阪の箕面で生まれた。当時、父は大阪大学医学部に籍を置く医学博士で軍医であった。
幼少にして母の実家である愛媛県大三島に移り住む。母の父、つまり家元の祖父は、造船所を営む島の素封家であった。
ここで、家元は日本舞踊と初の接点を持つ。木登りの得意な活発な少女であったから、運動神経が発達していたのであろう。最初の師匠は藤間伊登代である。
中学校一年生で、大阪に戻る。しかし、可愛い娘一人の下宿住まいが待っていた。
舞踊熱は、大阪女子学園短期大学の頃に再燃し、山村流の山村雅哉を経て、1977年に西川鯉矢にたどり着く。

師匠の西川鯉矢は「大阪文化祭賞本賞」「関西舞台芸術賞」等を受賞、NHK「芸能花舞台」に度々出演。鯉矢の女形芸を紋矢(大内誠子)はしっかり会得している。

西川紋矢の名で師範をつとめていたある日、弟子から新舞踊の指導を要請される。その要望は日増しに多くなり、西川流の師範を続けつつ「創美新舞踊大内流」の創流に至る。
後述することになるが、母、五三が会長をしている「日本創美和装協会」の「創美」と、本名の大内誠子とをそのまま、新舞踊における流派名と芸名にした。
1989年12月23日、住吉大社神前で創流の誓いを立てる。30人以上の弟子と新しい歩みを始める。名取りが半数以上の20人もいる充実した出発であった。それからの活躍ぶりは、目を見張るものがあった。

次々と舞踊教室を広げ、たくさんの弟子を獲得していく。2年に1度開く「花かさね会」という一門会が、舞踊の成果を見せる最大のステージとなる。
家元は、舞踊の世界だけにとどまってはいなかった。鯉矢に入門した同じ年、母が会長職にある「大内きものカルチャーアカデミー」の学院長に就任する。40か所以上の着付教室の運営と指導で目のまわるような忙しさなのである。

着付の世界でも活躍

それだけではない。婚礼着付と貸衣装の仕事にも手を染め、一層の多忙を極める。
舞踊の世界と着物とは無縁の存在ではない。むしろ、着物を自分で着られない踊り手が圧倒的だ。
家元は、この舞踊と着付を巧みに連動しつつ、日本の伝統文化をいかに普及し後世に伝えていくかに、腐心する毎日なのである。
その1つの具体例が、日本創美和装協会傘下の全国の着付学院が参加する「きもの着付祭典」で、今年22回目を数える歴史ある催しである。

大内きものカルチャーアカデミーは、大阪府知事賞、大阪市長賞、大阪21世紀協会賞等、多数受賞者を出している優秀校でもある。留袖や振袖の着付コンテストをメインとして、ブライダルショーや、家元の舞踊、門下生の群舞など盛りだくさんのプログラムが組まれていた。

家元の舞踊家として、また着付の学院長としての活動のなかで海外公演が比較的多いのも1つの特色のようだ。これまでにフランスのパリやベルサイユ、ニュージーランド、オーストラリア、ハワイ、サンフランシスコ等、まさに世界を股にかけた働きぶりなのである。
この「きもの」と「舞踊」の美と技を外国の人に披露するという体験は、「多くの外国人が、日本の伝統文化に深い関心を持っているということに驚き、また素晴らしい外国の文化に触れることで、日本の良さを再認識することができました。そして、それを伝承する責任を感じます」と、家元の指導に奥行と幅を増す。

その指導の基本を、「踊りは優しさが一番」に置いている。「人の心の真実を大切にし、踊りを通じてそれを伝えていくことだと思います」と語る。「技術的にも、易しさをモットーにしているんですよ。でも私の振付けはむつかしいと皆が言うんです」
「優しさ」と「易しさ」をペースにした精力的な指導が売り物だ。

だが、こぼれるような美しさと、あふれるような女性らしい気品の家元に、男性の弟子が居ないことが、唯一の気がかりである。「圧倒的に女性のお弟子さんが多いんです」
だから、弟子入り希望の男性は、大歓迎である。きっと家元の人柄と踊りの奥義に納得されることと思う。
また、息女西川右雅(西川流家元直門)と西川紋辰矢は共に西川流師範で、舞踊家を志している。

サンテレビの舞踊番組「芸能夢舞台」(毎週水曜日、午前9時より放送)のCMに出演するなど、家元の活動の場はとどまるところを知らない。
振り付けに、指導に、そして舞台出演にと、まさに八面六臂の大活躍が、これからも続いていこう。

夢舞台 「新舞踊の華たち」 著者 相羽秋夫 より抜粋

◆ 副学院長プロフィール ◆

大内朝子(おおうちともこ)
西川右雅(にしかわゆうま)
大内きものカルチャーアカデミー副学院長

日本創美和装協会直営 大内きもの学院の三女として大阪で生まれる。
幼少の頃より、初代会長、学院長に師事、特に大阪・東京・京都・徳島へと勉強の為仕事について、つれられ学ぶ。学生時代、巫女の仕事をし、結婚される方々の幸せな門出を学ぶ、そして厳粛な婚礼や礼儀作法など、伝統を重んじ、素晴らしい気持ちを教えていただく。大内きものカルチャーアカデミー副学院長であり、平成24年4月業務外渉部長に任命される。
創美きもの着付け祭典で、旧高島屋大阪店ローズホール、御堂会館、フェスティバルホール、ロイヤルホテル、都ホテル、テイジンホール、クレオ西、ワッハ上方演劇ホールにて、審査員、花嫁着付、日舞、新舞踊に出演。旧南海サウスタワーホテル、リッツカールトンホテル、ロイヤルホテル、都ホテルなどでテーブルマナーなどやその他年に一回、お着物をきて、お出かけする五三会をおこなっている。
入社時に、大内きもの学院から大内きものカルチャーアカデミーに、名前を変更。(「平成9年」、初会長が海外、東南アジアなどまた・現会長・学院長がアメリカやまたフランスのベルサイユ祭で、世界で初めての銀メダルまど又インド、また、副学院長も、上海やニュージーランドやフランスパリのネオジャパネスク95に参加。などで文化交流をし、感謝状をいただく。また、御堂筋パレード等に参加をしていた。難波校、ホテル一栄を副学院長が主任として任される。)
又日舞・新舞踊では、お夏狂乱の里の子(毎日ホール)で初舞台。その後、松尾塾子供歌舞伎に入塾。先代の松尾波寿枝塾長先生、松尾昌出子塾長先生、藤開良輔先生、市川青虎先生に師事。
傾城道成寺の禿(旧新歌舞伎舞)。
傾城門波の鳴門どんどろ大師の場のお弓(国立文楽劇場小ホール、中座、新橋濱舞場・ロサンゼルス公演、日米劇場)お染久松新版読販の久松おどり草紙の姫、花見踊のことぶき歌舞伎の上臈。(新橋演舞場。)釣り女の太郎冠者。実録先代萩の浅岡(旧新歌舞伎座)。
3年間で卒塾。その後1年間、家元大内誠子(西川紋矢)に師事。雪中花、恋唄綴(大内朝子)(旧新歌舞座)。近鉄文化サロン邦楽まつりに、ほぼ毎年出演。
中学3年生より名古屋西川流鯉三郎派、お家元西川右近先生、西川まさ子先生に師事。15歳から毎月名古屋のお稽古に通う。現在でも続けている。16歳で西川右雅の芸名をいただく。17歳にて、華道嵯峨御流、初代会長大内五三、学院長大内誠子に師事の許状をいただく。20際にて、西川流師範となる。
ひな菊会(主催 三世家元西川右近 指導 西川まさ子)(名古屋)、供奴、浅妻船、鞍馬獅子の喜三太、君が代松竹梅、三ッ面子守、吉野山(静、西川まさ子先生、忠信、西川右雅)、歌まくら、北州、素踊供奴。(愛知芸術劇場、大ホール、名古屋市青少年文化センターアトピアホール)西川流全国大会 呉羽祭(国立大劇場)。
花かさね会もほぼ出演。橋弁慶弁慶四世家元、西川千雅先生、牛若丸西川右雅。
峠の万歳、太夫西川まさ子先生、才蔵、西川右雅。供奴。北州。武蔵野、姉西川まさ子先生、妹西川右雅。舟、玉屋、浅妻船。命は夢で…。凛として。など。(国立文楽劇場、御堂会館、サレケブリーゼ)城ヶ島の雨(NHK大阪ホール)花かさねゆかた会。
妻八景、ござれやござれ、上汐、吉三節分、高砂や、梅と松。(西川右雅)河内男節、白雲の城(大内朝子)。(国立文楽劇場小ホール、湖月、大成閣、ホテル一栄)。
宗家追善創美新舞踊大内流二十年間記年。正調博多節、から傘の若旦那。など。
二世家元西川鯉三郎生誕百年、名古屋をどり、西川右雅(中日劇場)。火の国の女 厚生年金会館大ホ−ル(大内朝子)。新歌舞伎にて母家元大内誠子と出演。(大内朝子)。
新樹会にて、供奴、独楽。
第16回大阪府高等学校芸術文化祭にて供奴。
又、上海と大阪姉妹都市で参加。ニュージランドにて、花嫁展示。フランスにて花嫁展示、日舞、新舞踊の発展、その他、多数外国での文化交流。
平成16年度「大阪舞台芸術賞」新人賞をいただく。
これからも努力し、勉強をつづけ精進致しますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。



大内きものカルチャーアカデミー

●入学申込み、お問い合せ フリーダイヤル 0120-470728

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